東京地方裁判所 平成5年(ワ)8218号 判決 1994年8月23日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
理由
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告は原告に対して、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決は仮に執行することができる。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 事案の概要
本件は、被告が、平成五年三月二四日ころ、原告の不在中に別紙物件目録記載の建物(以下 本件建物という)の出入口の鍵を付け替えて原告の占有を排除したとして、占有権に基づいて明渡しを求める(左記事実は、いずれも争いがない)。
一 本件建物は、昭和五五年五月、原・被告が購入し、原告が五分の一、被告が五分の四の共有持分権を有している。原・被告は、本件建物の購入以来、原・被告間の子供三名とともに本件建物に居住していた。
二 原告は、被告が、平成三年七月頃、行先を告げずに本件建物を出て、別居するに至つたことにより、以後、本件建物を単独で占有使用していたが、被告が、原告の留守中に本件建物内に立ち入つて家財等を持ち出すために、平成三年九月上旬頃、本件建物及びポストの鍵を付け替えた。
三 被告は、平成五年三月二四日、原告の留守中に本件建物の鍵を壊して本件建物内に入り、本件建物の鍵を付け替え、原告の右占有を排除して侵害した。
第三 理由
一 証拠により認める事実
本件全証拠によると、原告と被告は、昭和五四年三月二三日、婚姻届をし、昭和五五年一月一一日に長男一郎が、昭和五八年二月一一日に次男二郎が、昭和六二年三月二三日に長女春子がそれぞれ出生したこと、原・被告及びその子供らは、平成三年七月頃、原・被告が別居するに至るまでの間、本件建物で居住していたこと、被告は、昭和六一年三月、原告に不貞行為があつたとして離婚の調停を申し立てたが、翌年三月これを取り下げたこと、被告は、その後、長女春子を出生し、原告との婚姻生活を継続することとしたが心労等が重なつて、平成三年六月頃、被告や子供たちが相次いで体調をくずしたことから被告の実家に身を寄せるようになり、同年七月二一日、置き手紙を残して本件建物を出て、原告と別居状態となつたこと、原告は、被告の行方を探したが、暫時の間は、被告の所在が判らず連絡の取れない状態が続いたこと、被告は、平成三年八月、東京家庭裁判所に対して、再度、夫婦関係調整の調停を申し立てたこと、被告は、右別居するに際して、着替え程度の物しか持つて出なかつたことから、必要に応じて本件建物に立ち入つて子供や被告の物等を取つたりしていたこと、原告は、被告により原告の居住する本件建物から家財道具等が持ち出されるといつた状況で、自己の生活の平穏が侵害され安心して出勤できない事態であつたため、生活を防衛する目的から、平成三年九月上旬頃、本件建物の鍵を付け替えたこと、その後、原告は、本件建物内に残つていた長女の衣類等を右調停の被告代理人であつた弁護士宛に送付するとともに、右弁護士が立ち合つて子供の衣類、玩具、長男の椅子、掃除機、布団乾燥機、テレビ一台、ビデオ一台を搬出したこと、原告は、平成四年九月一四日、これまで勤務していた会計検査院を退職し、平成四年八月一六日頃、本件建物から金沢の実家にトラックで荷物を搬出したこと、被告は、原告の右荷物の搬出後、原告の所在が不明となつたことから興信所等を使つてその所在を探した結果、原告の金沢の実家に居ることが判明したこと、原告は、原告の父親が代表取締役をしている会社に就職し、平成四年七月二九日、東京都千代田区《番地略》から金沢市《番地略》に転入した旨の住居登録手続を了したこと、原告は、前記調停の際に調停委員からの示唆により、平成三年七月分以降の本件建物の管理費、光熱水道料等を支払うこととなつたが、本件建物の固定資産税等の公租公課は、従前通り被告が負担していたこと、平成五年一月二三日に開催された乙山管理組合の設立総会において、管理費を五割増額すること、同額の修繕積立金の新設等が議決されたことから、原告は、右管理組合に対して、「本件建物の電気料金、管理費の五分の一(原告の所有権割合)、修繕積立費の五分の一(右同)以外については被告に対して請求することを求める」旨を通告したこと、原告は、平成四年八月に荷物を金沢に搬出した後、本件建物の平成四年八月から平成五年二月までの電気は、ほとんど使用されていない状況であつたこと、平成五年三月当時、本件建物内には、机、椅子、衣類、布団、電話のほか、冷蔵庫、電子レンジ、オーブントースター、衣類乾燥機、洗濯機、クーラー、扇風機等の家庭電化品、ピアノ、箪笥、鏡台、ロッキングチェア、ガス・石油・電気の各ファンヒーター、ダイニング・台所用品としてガステーブル、調理用具、食器類、テーブル及び椅子等があつたこと、右のうち原告の固有のものは、机、椅子、衣類、電話、扇風機であり、被告の部屋の中には被告の家具や置物等がそのまま残つていたこと、被告は、平成五年三月二五日、本件建物の住所地に住民登録を移したことの各事実が認められる。
二 裁判所の判断
原告は、被告が本件建物を退去してから本件建物の鍵を原告に無断で付け替えて、原告の占有を排除するまでの間、本件建物を実質的に使用し占有していたことは否定できない。原告は、本件建物を右のように占有していたことを理由として、占有訴権に基づいて被告に対して本件建物の明渡しを求める。
占有権は、物に対する事実的支配状態を存するが侭に一応これを保護し、もつて社会の秩序、平和の維持を図ることとし、その確立した事実的支配状態、すなわち、占有が妨害又は撹乱された場合には、いわゆる占有訴権によりその他人の妨害又は撹乱行為を排除することを制度して定めたものである。したがつて、占有訴権は、客体の事実的支配状態を一応保護することによつて社会の秩序を維持しようとする制度であるから、物に対する事実的支配状態を有していることが直ちに占有訴権による保護を受けると解することは相当でなく、占有権及び占有訴権の制度の趣旨・目的に照して、その保護を受ける利益のある事実的支配状態に限られることは多言を要しないところである。
1 原告は、平成四年七月二九日、住民登録を金沢市《証拠略》に移し、平成四年八月一六日頃、本件建物から自己の荷物を金沢に搬出したこと、その後、平成四年九月一四日、これまで勤務していた会計検査院を退職し、原告の父親が代表取締役をしている会社に就職したこと、平成四年八月から平成五年二月までの間、本件建物の電気はほとんど使用されていないといえるような状況であつたこと、被告が、本件建物の鍵を付け替えた平成五年三月二四日当時、本件建物内には、原告の所有に帰属するものは机、椅子、衣類、電話、扇風機程度が残置していたに過ぎず、被告の所有する物もしくは被告が原告との婚姻生活に際して購入した物が多く本件建物内に残置されていたこと、原告の右荷物搬出後の本件建物における電気使用料の状況等に照すと、原告は、平成四年八月に本件建物から自己が所有していた殆どの物を金沢へ搬出したものと認められ、その後は、本件建物を生活の本拠地としての占有使用を継続していたものと認めることは困難であり、原告が、なお、本件建物を使用し占有を継続していたとしても、実質的には既に形骸化していたものといわざるを得ない。この点、原告は、原告が本件建物から荷物を搬出した後においても、原告は、本件建物と金沢との生活状況は半々くらいであり、この間、依然として本件建物の使用占有を継続していた旨を供述するが、右供述は曖昧で具体性に欠け、他の関係証拠に照しても容易く採用することはできない。
したがつて、原告が本件建物に対する占有を有していたことを理由とする主張は採用できない。
2 被告が本件建物の鍵を付け替えた平成五年三月二四日までの間、原告の所有する物がなお本件建物内に残置されており、この点について、被告から格別の異議もなかつたことや原告が本件建物の管理料等の支払いを継続しており、近隣の住民らも原告の居住の事実を知悉していた等の事実が存するのであつて、この間、原告の本件建物に対する事実的支配がなお存在していたものと認められないわけではない。しかしながら、原告の本件建物に対する右の事実的支配が、当然にその存するが侭に保護され、占有訴権による保護を主張し得るか否かは問題である。すなわち、原告の本件建物に対する事実的支配が、占有訴権により保護されるには、原・被告間における本件建物の占有使用に関する撹乱が一応収まり、本件建物の占有に関する社会的な秩序が確立したと認められるような事実的支配である等、原告の事実的支配をその存するが侭に保護され得る占有であると認められる事実関係の存することが必要である。
ところで、原告が、右のように一人で本件建物に居住するに至つたのは、前記認定のとおり、当時、原・被告間の婚姻生活が破綻に瀕しており、離婚問題が夫婦間に持ち上がつていた状況から、体調を壊した被告が、本件建物を出て被告の実家に戻つた結果であり、被告は、本件建物内に子供の服や自己の所有する家財道具等をその侭の状態で残置したまま家を出て別居したことから、別居した後も、必要に応じて本件建物に立ち入つていたが、原告は、被告がこのように本件建物に立ち入つて家財道具等が持ち出されるといつた状況は、自己の生活の平穏が侵害され安心して出勤できないとして、その生活を防衛する目的から、平成三年九月上旬頃、本件建物の鍵を付け替え、その後、本件建物に対する被告の立ち入りを排除したことから、本件建物を事実的支配することとなつたものである(原告は、本件建物の鍵を付け替えた理由について、「毎日、本件建物から家財道具等が持ち出されるといつた状況で、原告の生活の平穏が全く侵害された」旨を供述するが、被告が、本件建物から原告の所有する家財道具等を持ち出したとか損傷等の行為をしたというような事実は証拠上認められない。)。
本件建物は、原・被告が婚姻により取得した財産で、かつ、それぞれが共有持分を有する共有財産であり、被告は、前記のとおり本件建物から退去して原告と別居したにも関わらず、被告の家財道具等が本件建物内になお残置された侭の状態であるということに鑑みると、被告が原告に無断でかつ行方も告げずに本件建物から出て別居したこと、その後、原告が本件建物を事実的に支配し占有を継続していたという事実により、直ちに、被告の本件建物に対する法的な権限や被告の占有が消滅したものと認めることは困難であるといわざるを得ない。
しかも、原告の本件建物に対する現在の事実的支配の状態は、いわば被告が本件建物に立ち入ることを排除するというような態様と方法で取得されたもので、平穏かつ円満な状態で本件建物の事実的支配を取得して居住占有を継続しているとは到底認めることはできないし、原・被告は、現に、相互に相手方の本件建物の占有使用を非難し、その権限の有無を争つているのであつて、原告が、前記のように居住し本件建物を事実的に支配し占有を継続していたにもかかわらず、原・被告間においては、夫婦間で解決されるべき問題の一つとして、本件建物の権利関係や占有使用関係についての確執が未だ残つていると認められ、本件建物の占有に関する秩序の撹乱が一応収まるとか消滅する等して、原告が社会的な秩序として保護されるべき確立した事実的支配を有するに至つたものと認めることはできない。したがつて、原告の本件建物に対する占有のみが社会的な秩序として一方的に保護される利益を有し、被告の本件建物に対するそれが排除されるべきであるとする合理的な理由を認めることはできないので、原告は、被告に対する関係においては、被告が自己の意思で本件建物を出て行つたこと、その後、原告の本件建物に対する占有の状況や原告のその他の主張する事実を総合して斟酌しても、原告の事実的支配の状態が、占有訴権によつて、あるが侭に保護されるに値する占有であると認めることはできないというべきである。
3 右のとおりであるから、占有訴権によつて、被告に対して本件建物の明渡しを求める原告の本訴主張は、いずれも理由がないので採用しない。
三 右事実によると、原告の被告に対する本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 星野雅紀)